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 もう何度目か分からない歯医者。
 今日、とうとう左側の虫歯に取りかかれると説明してくれたので喜びつつ、前回詰めた右側の銀歯を確認。
「あ、ここにも虫歯あったんだ」
 ということでまた右側の歯を治療です。治療開始してからだいぶ経つけど、未だに右側の虫歯すら治りません。
 そして、削ったところの仮の詰め物が、もう取れそうです。なんか違和感があります。もし取れたらどうしよう。

富士見レーベル雑感 その1

富士見レーベル雑感 その1 序 〜富士見書房という存在〜
 
 何というか最初「レーベル論」とか銘打ってみたけどやっぱりただの雑感を書き連ねる方が、黒雨にとって楽しいので、だらだら書くよ。でも構造的には論文っぽく「序」とか入れてみるね。
 富士見書房っていう存在からちょっとずつ書いてこうかと。
 とりあえず、富士見書房のレーベル「富士見ロマン文庫」ってのがあったりするんだよね。マルキ・ド・サド富士見書房作家です。だって富士見ロマン文庫になってるんだもん。とか言ってるのはある意味で卑怯な物言いなんだけど。
 富士見書房ってのは結構変で、前述の「富士見ロマン文庫」はamazonで飛ぶと18禁扱いなんだよね。今でこそライトノベルとかTRPGとかのゲームなんかのイメージがついているんだけど、富士見書房は元々おっさん向けのものだった様子。
 富士見ロマン文庫(18禁)、時代小説文庫。
 この2点のレーベルは富士見的に黒歴史な様子です。あ、間違えた。言い直します。「角川書店富士見事業部(注:その後、富士見書房は独立した会社になりましたが)」的に黒歴史なんじゃね?
 ちなみに、富士見書房の時代小説文庫には山田風太郎とかいるからね? 山田風太郎ありんす国伝奇*1とか実は富士見。
 
 こう上げていくと、富士見書房についてのイメージってだいぶ変わる。
 書店に行って富士見ファンタジア文庫の新人賞から出た奴、イラストだけでもいいから見て欲しい。そしてサドと山田風太郎を思い浮かべて欲しい。
 どんな版元なんだ、富士見書房
 
 今もある「俳句研究」ってのはその頃の名残なんでしょうかね? 角川書店富士見事業部の歴史は調べてもよくわからないままなんです。絶版となってしまってもネット上の本屋とかに残っているバックナンバーの発行年度から推測すると、富士見書房の文庫は、ロマン文庫やら時代小説文庫から、急遽富士見ファンタジア文庫へと移行してるんですよね。
 というか、出発地点がイマイチよくわかってないんだけど、角川の社史には何も書いていないのでわからないんです。暇があったら調べてもいいかな程度として。
 今では会社組織としても残ってないしね。角川グループ関連企業の一覧ページ(http://www.kadokawa.co.jp/company/sub.html)には跡形もない富士見書房。その代わりに事業部所在地のリストのページ(http://www.kadokawa.co.jp/company/access.html)にははっきりと「富士見事業部」の文字。
 そんな不思議な不思議な存在なのが富士見書房なのです。
 
 以上のことはとりあえず前提です。前提。
 キーワード「マルキ・ド・サド」で飛んできた人はまさか富士見書房について書いてるなんて思ってないよね、きっと。

『GOSICKⅡその罪は名もなき』

 『GOSICKⅡ その罪は名もなき』桜庭一樹富士見ミステリー文庫富士見書房
  ISBN:4829162546
 
 今日はこの日記、富士見書房という言葉が舞ってますな。
 というわけで、今日の読了本はたまたま富士見ミステリー文庫なのでした。
 ええっと、本当は富士見ミステリー文庫について書いた文章のあとに書きたかったんだけどなぁ、感想。
 まぁそれはどうでもいいです。
 んで、これなんだけど。以前の日記では、ミステリでなくライトノベルとして良作とか言ってたね。
 結構考え変わった。ようやくわかった。
 つまり『GOSICK』というシリーズは、冒険小説である。読んでいる時になんとなくそんな感覚があって、後書きを読んで確定。

 一巻に引き続き、ヴィクトリカと一弥が聖マルグリット学園を飛び出しての冒険!
 (p.397 あとがき より抜粋)

 あ、そうか。と。
 ミステリ的要素はいらないんですよ、この作品に。『GOSICK』のキャラクターは、ヴィクトリカというホームズ役の美少女と一弥というワトスン役、という立場であったりして、古典と呼ばれるようなミステリにキャラクター構成を依ってる。
 でも、キャラクター構成だけなんだよね。ミステリ部分はまったくいらないんだ。キャラクター構成上、事件が起こらない限り冒険が出来ないせいで、ミステリの物語進行のように話が展開するけど、それは読者を読ませる原動力たりえてない。なぜなら魅力がないから。
 謎を解き明かすんではなくて、次々とおそってくる困難に立ち向かっていく冒険が主題なんです。
 今回、ヴィクトリカの母親が冤罪にあった事件の解決という動機で旅立つ。その事件は解明することが物語となるんじゃなく、あくまでそれを解明するヴィクトリカの物語。
 そして、ヴィクトリカが現在進行形で出くわしている事件の描写は、推理小説的な書かれ方ではない。事件が起こった瞬間に、既にヴィクトリカは解を得てしまっている。何故か、と悩んで理論を構築することをまったく文中でしない。セリフ上で考えを巡らせているようにキャラクターが一行ほど話したら推理は終了だ。謎は解明する。
 ではどこでエンターテイメント性を出すか。主に重要なのは、その解明した謎とどう出会って、どうやって事件に巻き込まれた状況から脱したか、になるのだ。そして、それと並行してそれ以上に重要なのは、事件に巻き込まれた状況で、ヴィクトリカと一弥という二人の関係がどのようなものになっていくか、なんだ。
 それが主題であると考えれば、ミステリ部分がどうでもいい作りになっているのに、何故か読むのが楽しく思えた理由も自然と氷解すると思います。黒雨は氷解しました。ずっと何でこれが面白く思えたのか疑問だったけど、ようやく気付けた。
 
 そう言った意味で、黒雨は『GOSICK』を「冒険小説」もののライトノベルとして一押しします。
 ミステリなんて口が裂けても言えません。広義のミステリに入るのかもしれないけど、そんな言葉でくくっても仕方のない小説がこのシリーズなんだと思います。