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一生かかってもぬぐえない傷なんか何処にでも付いてる。黒雨です。
僕だって人に怒りを覚えたりするんだ。〜ミクロ人生論
表面上喜怒哀楽を出そうとしたところで、本質的な内面は何も動いてくれない。まぁそんな上っ面の感情だけで生きている人間は世の中に多数居るだろうし、黒雨もそのうちの一人だったりするのですが。
でもたまには怒りを覚えたりするんだ。
相変わらず黒雨は来年の就職先のことについて色々言われるんだけど、今日後輩に「汚い」って言われたんだ。そんな事を言われる筋合いはないと思うんだ。というか素直にむかついたんだ。何か形のないものに対してむかつくことはよくあったけど、人に対してむかついたのはかなり久々なんだ。
多少は反論しつつ笑って済ませられた気もするけれど、あの場で殴りかかったり泣き出したりしそうなくらい精神を攻撃された。黒雨の中で彼女は敵と認識された。
今度攻撃しようと思う。
黒雨がどう人生を送るかは、黒雨が決めたことであって、もうこれは覆さない。決意は固い。固いんだ。その融点がどこであるかなんて実際に火であぶってみないとわからないだろう?
黒雨は断固として内定を頂いた企業に行くつもりだし、それを覆すつもりはない。最終面接が二社残った7月時点で、どちらが希望かなんてはっきりしていた。だから先に内定の電話を貰った時の第一声が「次の企業、最終面接あるんで待ってください」だったし、骨折しながら就職する予定の企業から内定を貰った時に、すぐに先に内定もらった企業に辞退させてもらう旨を伝えた。
黒雨はまったく後悔していない。なるべくしてなった。
全然知らないジャンルがメインではあるんだけれど、そこは逆にそうであるからこそビジネス的な視野から捕らえる事が出来ると思っている。下手に理想形がないだけ、仕事をする上で技術面を磨くことが出来ると思っているし、何か新しいことにチャレンジできると思うんだ。
最終面接で会社から色々話して頂いたことに、素直に感銘を受けた気持ちは、確かに残って居るんだ。
就職活動で色々実感したことがあるんだ。そして就活中に考えだって変わった。はっきり言って自分たちは何も分かっちゃいないんだ。学ばなきゃ行けないことはたくさんあるんだ。そして、内定という形で取り組める場所も提供されたんだ。
あとは突き進むしか、ないじゃないか。
だとするならば、黒雨に文句を付ける権利は、誰にもないじゃないか。
だから、あえて文章化しておく。意志確認とともに責任も背負っておきたいんだ。
話のネタにされる分には別にいいんだけど。ま、度合いってもんがあるでしょ。わりと。
富士見レーベル雑感 その3
富士見レーベル雑感 その3
〜富士見ファンタジア文庫から読み解く富士見ミステリー文庫、あるいは富士見ミステリー文庫=富士見ファンタジア文庫論〜
性懲りもなく書くよ。本題だよ。
というわけで、富士見ミステリー文庫についてなんだけれど、これが富士見の中でどういった位置づけのものかと考えてみる。
先述した現状において、富士見ファンタジア文庫は壊れてしまったと言える。最初広義の意味での「ファンタジー」から出発して、ビジネス的な視野から、売れるものを追求していたように思えるからだ。
「ファンタジー」で銘打って文庫のレーベルを発足させたのは、ファンタジーの小説が隆盛してきた先見もあるだろうし、富士見ファンタジア文庫内でSFの流れが出てきたのは、SFが多少ブームだったこともある。逆に売り上げを追求したせいで、当初のコンセプトが曖昧になって、最終的に「ライトノベル」として落ち着くしかなくなった富士見ファンタジア文庫というのは、結果的に「レーベル」として失敗と断言できるだろう。富士見ファンタジア文庫という名前に「ブランド力」はあっても「レーベル」としての方向性はない。
さて。
その中で富士見ミステリー文庫という存在が出てきた。丁度ミステリがブームになってきたあたりで、ライトノベルミステリーというものを出したかった事もあると思う。
これは富士見ファンタジア文庫創設と同じではないだろうか。
富士見ファンタジア文庫は、広義の「ファンタジー」のものを取り扱おうとして、結果的に「レーベル」は壊れた。
富士見ミステリー文庫は、広義の「ミステリー」のものを取り扱おうとして発足した。
ただ、それだけに留まらない理由もあると思う。ファンタジア長編小説大賞を受賞した貴子潤一郎の『12月のベロニカ』*1から読み解くんだけど。
黒雨の評価として『12月のベロニカ』はダメであると断言する。何故かと言えば、リーダビリティが完全に推理小説、それもある程度ネタバレとなってしまうのだが、叙述トリックの手法においてのものだ。それ以外の要因でのリーダビリティがない。それを「ファンタジー」として内包するのには無理があったのだと思う。
確かに、当時の富士見ファンタジア文庫はミステリ的構造の話が多かった。というか、設定の謎というものがわかってしまったとたんにリーダビリティを著しく損なう作品が多くあった。それはその時点で広義の「ファンタジー」に留まれなかった。
そうして富士見ミステリー文庫が発足する。広義の「ミステリー」を取り扱うという筋を通して「レーベル」の力を取り戻すために。
以上のように、富士見書房は、広義の「ファンタジー」や広義の「ミステリー」という、定義がしにくい二つのブランドをかかえることとなった。
だがしかし、富士見ファンタジア文庫がレーベルを崩壊させた代わりに誕生した富士見ミステリー文庫は、早々と「レーベル」の力を失う。発足のラインナップは確かに広義のミステリーであったが、『Dクラッカーズ』*2シリーズが存在した理由は、富士見ファンタジア文庫の中に内包しきれなかったものだからだろう。そうやってどんどん富士見ファンタジア文庫に内包できなかったシリーズが富士見ミステリー文庫に流れてしまった結果、富士見ミステリー文庫もまた、ミステリーでもなんでもない小説が発行されるレーベルとなる。『食卓にビールを』*3なんかはその代表だ。既に「SFコメディ」と銘打たれている。また『GOSICK』*4シリーズなんかも、ミステリーとしての体裁だけ残っているが、内実はミステリーなんかではない。
既に、富士見ミステリー文庫は富士見ファンタジア文庫と全く同じ展開のなされ方になってきている。ジャンルはともかく、商業ベースに載せられる作品を内包している。
もはや富士見ファンタジア文庫と富士見ミステリー文庫、二つのレーベルに差はない。現在富士見ミステリー文庫が活発化しているのは、新人が育てられている場所だから、という理由だろう。
というわけで、現在、富士見ミステリー文庫もまた、レーベル力を失い、富士見ファンタジア文庫との差別化がまったくない状況となってしまっている。富士見ミステリー文庫は、そのまま富士見ファンタジア文庫の歴史を辿ってしまっている。
この現状では、富士見ファンタジア文庫=富士見ミステリー文庫と言えるのではないだろうか。
富士見レーベル雑感 あとがき
以上のこと言いたくてだらだら書きました。もし見てる人がいたら有難うございます。そしてこんな長々書いて目を腐らせてしまって申し訳ないです。
黒雨もこんなに長々書くつもりはなかったんです。これを書いていた3日間。睡眠不足のため卒業や教職がかかった授業を寝過ごしました。出席日数は結構ピンチです。
どうしましょう。頑張りますけど。