「ステキ江川のさんぽはステキ」(恵比寿LIQUIDROOM)

 東京は恵比寿、LIQUIDROOMにて。
 サイコー。
 噂にはかねがね、すげぇライブスタイルと聞いてたけど、凄いね。
 
 ギターの弦は演奏中に何本も折れ、マイクスタンドに頭突きかましてぶっ倒れさすわ、ドラムはスティック折れるわ。激しすぎ。別に壊そうとして折ってるんじゃなくて、単純に楽器が耐えられないほどの圧倒的なライブ。
 すげぇよ、すげぇんだよ。
 何よりも濱埜のキーボードが凄い。あんなスタイルで弾けるんだな、キーボードって。そりゃ息が切れますよ。頭から通しでやるリハーサルで疲れて続かなくなったので一旦休憩をとったとか頷けるよ。そして実際のライブでも、途中でピストルが「……濱埜……繋いで……」といって休みを取ってたし。
 
 CDの比じゃねぇ叫び。そう、逆にCDというメディアで納めきることの出来ないものがライブにありましたですよ。あんなのCDで再現する方が無理。CDでしか野狐禅聞いてない人はライブ行くべき。行かないと損。野狐禅はおそらくライブ盤なんて出ないので。今日見て思った。これは映像化ならわかるけど、このライブを音源化するのは不可能。だって、マイクスタンド倒れてボーカルがかき消えるわ、弦が切れてギター途絶えたりするのは、映像見ないと意味分からないでしょ? 弦が切れたままで在る程度弾いたりしてるけど、音が数個消えるのは確かだし。
 んで、その状態の上でサイコーのライブなんだから、もうそりゃしょうがない。
 
 このライブ行って野狐禅のすごさ再認識。CDで聞いて数曲気に入ってないのあったんだけど、全部オッケーになったのです。そう、CDだから仕方なかったのか、と。
 
 その上、アンコールの最後の曲、ドラムで参加の江川ゲンタがボーカルで濱埜がドラムって。凄いよ。それで締めるのか。そして最後のピストルの言葉が「みんなゴメンネ」か。そうか。
 
 野狐禅のライブを聞いてて忘れかけてたことを思い出したのです。
 
 言葉には力がないんだ。言葉を使って歌うことで初めて力を持つんだ。
 そういう事を感じた。
 
 言い方を変えると、歌というのはある種言葉に出来ない奥のものを召喚するための儀式なんですよ。その儀式を経て歌われるものかと。ただ歌うだけでは何も出来ないんだ。その奥にある何かを召喚するくらいの勢いでやらなければ、それは伝わってこない。叫ぶタイプの曲でもなくてもその「叫び」って奴は届いてくるんだ。
 ボーカルだけじゃなくて、他の演奏でもそうだ。ただの楽譜に意味はない。それを弾いて何か召喚されるという儀式とか。
 
 かといって歌うだけの行為を否定するわけでもなく、そういうのは祭りみたいなもので、儀式を除外して祭りだけやっても十分楽しい場合もあるじゃないか、とか。そういう音楽だってあるだろうし、歌うという儀式を通して何か出さないといけない音楽もあるよなぁ。とか。
 
 言葉に出来ないんだよ。