ドアtoドアの憂鬱

 移動することが、本当に大嫌いなんだ。 
 
 またいろいろ精神的にアレげな状況が出てきたので自己分析をしたところ、最終的な結論として出てきたのが、黒雨は「移動することが嫌い」のひとことなんだ。
 
 もともと、あるああいった事情により黒雨は「家に帰ること」が嫌い。そうなんだけれども、「家に帰ること」のうち、「家に」なのか「帰る」なのか、どちらがメインになっているのか気づかないままだったのだ。
 「家に」も嫌いなんだけれど、それ以上に「帰る」という動作が嫌い。
 移動することがとても嫌いだったのだ。
 だからこそ、どこかへ出かけるということが嫌い。そしていったん出かけてしまって店になんか入ったとする。そうすると「そこから移動すること」がその瞬間からイヤになっているのだ。
 どのくらい、ドアをくぐることが嫌いかというと、電車の乗り降りにためらうくらいなのだ。
 
 移動するのが嫌いなのは、歩くからである。
 歩くことがとても嫌いなのだ。
 
 たとえば、歩いているとする。何も聞かずに何も持たずに、一人で歩いていたとする。
 するとどうだ。その歩いている最中には、いろいろなくだらねーことを考えに考え抜いて、鬱になってくるんだ。
 そのため、移動するために必要なのは、くだらねーいろいろなことを考えずに済む何かが必要なのだ。
 
 一人で歩くときはiPodが欠かせない。iPodに思考をぶっ飛ばしてくれるようなキチガイな音楽を垂れ流しながら、意識レベルを意図的にすべて音楽へ振り分け、ほかのことを一切考えないように世界から自分を切り取ってシャットダウンして、それでようやく歩けるのだ。
 
 実は、そうでもしないと、とても歩けないのだ。高校生の頃からの「精神的に歩けなくなる」というすげー悪い癖。学校までのたった15分ですら、歩いていると憂鬱になって、くだらないことを考えすぎて、足を前へ出すことが精神的にできなくなってその場にしゃがみ込んで思考を締め出して締め出して締め出して何もなかったことにして、とりあえず自分から逃げ出すんだ。
 
 そこで、ようやく歩けるようになるんだ。
 
 だからこそ、なるべく移動するためには自転車を用いるんだ。自転車を漕いでいると「自転車を漕ぐこと」に集中できるんだ。だからこそ、この日記でも「顔面蒼白」なんて名前をつけて愛用するくらいなんだ。
 あと、車は文明の利器として画期的だ。インドアなのに、それごと移動できるのである。画期的すぎる。
 
 以上のようにして、家に帰りたがらない引きこもり・黒雨が誕生したのである。