食玩化する雑誌「電撃G'sFestival」

「電撃G'sFestival Vol.4」メディアワークス
  ISBN:B000FMGW3M(雑誌)
 
 雑誌という存在について考えさせられる。これを見ると。
「電撃G'smagazine」の増刊として出されているのだが、これはもはや雑誌ではない。グッズである。
 というのも、特集しているのも付録なのもすべて『D.C.Ⅱダ・カーポⅡ〜』という話題作のエロゲーについてなのだ。
 そして、雑誌は「冊子」と呼びたいくらい薄い
 
 これは、考え方の転換なのだ。
 雑誌として売られてはいるが、この商品のメインは抱き枕のカバーなどのグッズなのである。グッズに冊子がついてきた、と言ってもいいだろう。
 「雑誌」として扱うことで、あくまでグッズではなく冊子がメインという体裁で、取次を通して全国書店に回すという離れ業なのだ。
 
 よく考えてみればいい。
 アニメイトなどの小売店は、書店としての側面も、キャラクターグッズを企画制作してもいる。キャラクターグッズを取り扱うアニメイトは、なるべくなら自社生産したグッズが自社の小売店で売れることを望んでいるのだ。
 それが、他社が制作したグッズが、あくまで雑誌として配本されてきてしまうのだ。キャラクターグッズとしてはアニメイトは入れたくないに決まっている。
 が、書店としての側面がそれを許さない。雑誌という体裁で、取次からの配本はあるだろうし、顧客も「雑誌」として考えて足を運んできてしまうだろう。アニメイトなどの専門店でグッズとして売られている商品は、この雑誌についている「付録」と同価値といってもいい。
 
 そうなると、専門店は形無しになってしまうのだ。
 
 あくまで「雑誌」の側面で扱われることで、アニメ・コミック専門店でなくてもグッズを販売するチャネルがあるのだ。三省堂だろうがジュンク堂だろうが紀伊国屋だろうが丸善だろうが八重洲ブックセンターだろうが町の小さな本屋だろうが、グッズが買える状態を作ったのが、この雑誌と言える。
 
 
 逆の事例から考えよう。確か前にネスレがおまけに小さな文庫をつけていたはずだ。今もやってるのかどうか知らないが。実現は無理なんだろうが、食品を付録にしてもいいと仮定しよう。本来おまけであった文庫がメインの商品である体裁にしてISBNコードを取得して流通させる。そうすれば、書店でインスタントコーヒーの粉を入手できるのだ。
 
 
 このまま雑誌の体裁でいろいろな商品が書店にまかれるようになっていくとしたら。その時には、雑誌は、コンビニで売っている食玩と同じようなものになっているのだろう。
 食玩は一応「お菓子」として流通に乗っている。なので商品のメインはラムネやガムなんだが、ラムネやガム目当てで食玩は買われていない
 
 おまけが欲しくて、中に入っているお情け程度のラムネを捨てるかのように、「電撃G'sFestival」は、付録が欲しくて付いてくる冊子はどうでもいい扱いの雑誌に変化していくのだろう。
 
 そう、この販売戦略は、付録が雑誌に対して行った下克上とも言えるだろう。