富士見レーベル雑感 その3
富士見レーベル雑感 その3
〜富士見ファンタジア文庫から読み解く富士見ミステリー文庫、あるいは富士見ミステリー文庫=富士見ファンタジア文庫論〜
性懲りもなく書くよ。本題だよ。
というわけで、富士見ミステリー文庫についてなんだけれど、これが富士見の中でどういった位置づけのものかと考えてみる。
先述した現状において、富士見ファンタジア文庫は壊れてしまったと言える。最初広義の意味での「ファンタジー」から出発して、ビジネス的な視野から、売れるものを追求していたように思えるからだ。
「ファンタジー」で銘打って文庫のレーベルを発足させたのは、ファンタジーの小説が隆盛してきた先見もあるだろうし、富士見ファンタジア文庫内でSFの流れが出てきたのは、SFが多少ブームだったこともある。逆に売り上げを追求したせいで、当初のコンセプトが曖昧になって、最終的に「ライトノベル」として落ち着くしかなくなった富士見ファンタジア文庫というのは、結果的に「レーベル」として失敗と断言できるだろう。富士見ファンタジア文庫という名前に「ブランド力」はあっても「レーベル」としての方向性はない。
さて。
その中で富士見ミステリー文庫という存在が出てきた。丁度ミステリがブームになってきたあたりで、ライトノベルミステリーというものを出したかった事もあると思う。
これは富士見ファンタジア文庫創設と同じではないだろうか。
富士見ファンタジア文庫は、広義の「ファンタジー」のものを取り扱おうとして、結果的に「レーベル」は壊れた。
富士見ミステリー文庫は、広義の「ミステリー」のものを取り扱おうとして発足した。
ただ、それだけに留まらない理由もあると思う。ファンタジア長編小説大賞を受賞した貴子潤一郎の『12月のベロニカ』*1から読み解くんだけど。
黒雨の評価として『12月のベロニカ』はダメであると断言する。何故かと言えば、リーダビリティが完全に推理小説、それもある程度ネタバレとなってしまうのだが、叙述トリックの手法においてのものだ。それ以外の要因でのリーダビリティがない。それを「ファンタジー」として内包するのには無理があったのだと思う。
確かに、当時の富士見ファンタジア文庫はミステリ的構造の話が多かった。というか、設定の謎というものがわかってしまったとたんにリーダビリティを著しく損なう作品が多くあった。それはその時点で広義の「ファンタジー」に留まれなかった。
そうして富士見ミステリー文庫が発足する。広義の「ミステリー」を取り扱うという筋を通して「レーベル」の力を取り戻すために。
以上のように、富士見書房は、広義の「ファンタジー」や広義の「ミステリー」という、定義がしにくい二つのブランドをかかえることとなった。
だがしかし、富士見ファンタジア文庫がレーベルを崩壊させた代わりに誕生した富士見ミステリー文庫は、早々と「レーベル」の力を失う。発足のラインナップは確かに広義のミステリーであったが、『Dクラッカーズ』*2シリーズが存在した理由は、富士見ファンタジア文庫の中に内包しきれなかったものだからだろう。そうやってどんどん富士見ファンタジア文庫に内包できなかったシリーズが富士見ミステリー文庫に流れてしまった結果、富士見ミステリー文庫もまた、ミステリーでもなんでもない小説が発行されるレーベルとなる。『食卓にビールを』*3なんかはその代表だ。既に「SFコメディ」と銘打たれている。また『GOSICK』*4シリーズなんかも、ミステリーとしての体裁だけ残っているが、内実はミステリーなんかではない。
既に、富士見ミステリー文庫は富士見ファンタジア文庫と全く同じ展開のなされ方になってきている。ジャンルはともかく、商業ベースに載せられる作品を内包している。
もはや富士見ファンタジア文庫と富士見ミステリー文庫、二つのレーベルに差はない。現在富士見ミステリー文庫が活発化しているのは、新人が育てられている場所だから、という理由だろう。
というわけで、現在、富士見ミステリー文庫もまた、レーベル力を失い、富士見ファンタジア文庫との差別化がまったくない状況となってしまっている。富士見ミステリー文庫は、そのまま富士見ファンタジア文庫の歴史を辿ってしまっている。
この現状では、富士見ファンタジア文庫=富士見ミステリー文庫と言えるのではないだろうか。