「ファウスト vol.5」

ファウスト vol.5」講談社MOOK
  ISBN:4061795724
 
 ようやく読み終えた。分厚いんだよ。
 
 黒雨はこの雑誌が今となっては気持ち悪くてしょうがない。
 みんなも気持ち悪いだろ? え、違うの? 嘘だぁ。
 いや何、別に雑誌を貶そうとしているわけじゃない。気持ち悪く作られているものに対して気持ち悪いと言うのは、別に貶し文句じゃないだろう。
 というのも、この雑誌は、あくまで太田編集長の主観で作られている。だから、太田編集長と感性が似通っているのであれば、親近感は感じる。
 にしても。にしても絶対に違和感が残るはずだ。
 残らないとすれば、その読者は太田編集長そのものなのだ。そんな現存する他人と寸分違わぬ感性を持っている必要はない。捨ててしまえ。
 逆に言えば、違和感を持ったり気持ち悪さを持てるほどに強烈な個性であることは間違いない。それだけの個性を雑誌上で打ち出せるのは素直に凄いことだと思う。
 まぁ、それはそれとしておく。
 んでも、決定的に「ファウスト」という雑誌が黒雨にとってダメなのは、現時点の太田編集長という人間が黒雨にとってダメだからなんだと思う。
 「ファウスト」は、もはやヲタク的な雑誌である。文芸誌? なにを馬鹿な。「ファウスト」は文芸誌ではない。小説誌。既成概念を打ち崩そうと「闘う」のであれば、何を今更繰り返し「文芸」という言葉を使う必要性があるんだろう。
 文芸という言葉は、包括的に見せかけておきながら、ある種のジャンルを示唆してしまうような、限定的な言葉だ。その乖離が黒雨には気持ち悪い。
 そして、「ファウスト」はヲタク的な文脈で語られる小説たちの中から、文芸という言葉で何かをすくいだそうとしている雑誌だ。太田編集長は、ヲタクではない。なのに、表面的にヲタク臭く雑誌が作られている。読者が持っているかもしれない「ヲタク的なものへのコンプレックス」を刺激するような、ヲタク「文化」としての側面としてのタームが「文芸誌」という言葉に使われている気がしてならない。
 自覚的にヲタク的なものをフューチャーしてやっている事は、確かにありな事だと思う。そして、編集側に、ヲタクではないが意図的にヲタク的なものを取り上げようとする第三者の目という存在はあってもいいかもしれない。
 ただ、この雑誌は一人編集を謳っているため、太田編集長という個人が出る。その事で、とてもヲタクではない太田編集長という個人が、ヲタクとしての痛さだけ伴って出てくる。ヲタクを理解しているという姿で出てくる。ヲタクを「理解する」って事は、ヲタクではないって事なのに。
 そして、この雑誌は「自分たちはヲタクではない」とアピールするかのごとく、体裁を整えようとしている。
 ああ、なんか、そこら辺の視点のブレが、雑誌酔いを起こしてしまう。
 
 作家単位で見れば、好きな作家が多いので、小説を読みたくて買うだろう。そして、この雑誌の存在は、企画としてとても凄いものだとは分かる。そして実際売れている。これはまぁ、凄い。
 
 まぁ、賛否両論出る雑誌なんだろうけれど、逆に言えば賛否両論出るくらいの個性を持っているって事で、そこはまったくもって否定出来ない辺りが、この雑誌の強みなんだよなぁ。個性ってのは重要ですね。
 その点がこの雑誌の完膚なきまでにすばらしいところなんでしょう。