『西の魔女が死んだ』

西の魔女が死んだ梨木香歩新潮文庫/新潮社
  ISBN:4101253323
 
 なるほど。これ、児童文学的なのか。
 
 とのっけから、納得してますが、何がって、梨木香歩が児童文学の系譜であるということに納得なんすよ。
西の魔女が死んだ』については、児童文学ではないが、とても児童文学的な作品だと思う。どこが児童文学的ではないか、というと、読者層が児童の枠をはずれ気味な作品だからだ。
 なんか、登校拒否起こした主人公が、祖母の家で暮らした日の事を描いてるのね。
 んで、その描写が、とても児童文学的なんですよ。
 
 どういう点かって、事実のみ述べるスタイルという意味で。
西の魔女が死んだ』で描かれているのは、ただ単に上に書いたような登校拒否起こした主人公が田舎で生活して、感じた様を描いて居るんだけれど、それだけに終始している。そこからの発展とかはない。
 読者が読み解く、というのも少し違う。
 その生活を、ただ感じ取ればいい。そういうほったらかしのスタイルなんです。
 
 黒雨の抱く児童文学に対しての勝手なイメージに、児童文学って実は何も訓話めいている必要はないってことがあります。つーか、むしろ訓話とか邪魔なんですよ。児童文学に。
 ただ、その作中で起こったことを並べる。それでほったらかす。そのほったらかしの方法に重きが置かれるジャンルだと思うんです。読み手の想像を起こさせるための配置で、その読み手の想像に対して、指向性をまったく与えてないってのが児童文学だと思うんです。
 
 そこから考えると『西の魔女が死んだ』はとても児童文学的で、文学的というには、はばかられます。文学的なものってのは、また別じゃないっすか。読み手とかそういう事を考える必要はあっても、また別物じゃないっすか。
 でも『西の魔女が死んだ』は、とても文学的なんですよね。
 文学を児童文学の方法論でやろうとした成功例って奴がこの作品じゃないでしょうか。そういった意味ではとてもレアな小説だと思います。
 
 だって、児童文学と文学って、とても食い合わせが悪そーじゃないか。そうでもないって感じた方はそれはそれでいいです。黒雨の感受性の問題だから。
 
 うん、ごめん。もう割と眠いので、だいぶ文章重複してるし展開がなってねーや。あ、いつもの事ですか。そうですね。