『ねこのめ(1)〜(3)』
『ねこのめ(1)天秤の錯覚』『ねこのめ(2)羅針盤の夢』『ねこのめ(3)六分儀の未来』
小林めぐみ/富士見ファンタジア文庫/富士見書房
すばらしい。
書影はこちらでどぞ。
まぁ普通にSFっちゃSFとして片づけられるんだけれど、作家が本気で好き勝手に書いているSFってのはこれ。
1巻の「ベクトルの彼方で待ってて」から3巻の「続・ベクトルの彼方で待ってて」というプロローグとエピローグに挟まれて、繰り広げられる作り込まれた世界観。なんだよ、考える猫の一人称視点って。
考える猫が一人称。当然、猫が考えるってのはおかしな話で、猫の自意識というものが問われてくる。そして、その考える猫であるジゼルの記憶というのは、1巻のラスト付近で失われるのだ。
1人称でも、本当に思考のノイズを含めてそのまま地の文にも適応しているところがあるので、自分の出自なんてのは普段考えないからこそ、出てこない。その記憶が、ぷつっと消えるんだ。話の途中で。
思わず、これって連作短編か、と思ってしまったのだが、実は長編小説の中にある一場面でしかないのだ。
記憶や意識がぶつぶつ途切れて、記憶が混乱していくジゼルとともに、読者の記憶も混濁していく。その自意識と思わず同調してしまう。そこで、読者は覚えているが、一人称であるジゼルが「失ってしまった」記憶が出てくる。その違和感といったらもう最高じゃないか。そしてまた「失ってしまった」記憶で、かつ読者も知らない情報も織り込まれている。
それが巧く張り巡らされて、最後の最後で、せっていを総ざらいにまとめてくるんすよ、これ。
自分を「生体機械」と言い張る猫。はて、自分は何なのか。という自意識の混乱から、それぞれの人物の行動意図やらなんやら、丁寧に拾っていってるんです。
もうね、これね。なんていうか、すげぇ若い。伏線の広い方まとめ方が、あまりに体力がいるくらいに細かい。作者が若い。なにより、作者が若い。1人称の文体といい、設定の回収といい、筆致が若い。とてもみずみずしいのだ。
あと、SF設定が、作者が物理系の学生だったせいか、いろいろ空想ばっかりでおもしろい。いや、その空想には物理系の学生であるという必然性はないんだけれど、なんというか空想科学をのびのびと発想している感じがね。
そんなこんなで、これは、素直にいい作品だったと言えます。