仕事で
割と大きなミスをしてしまい、おおわらわ。
どうしたものですかね。どうしようもないんだけれど。
いろいろと大変です。
まぁ最近は、なんかそれなりにしゃっきり仕事をしているといえば仕事をしているので、それなりになんか稼いでいる実感はあるのですが、あと一歩ですよね。
あと一歩。
何がって、あと一歩のやる気。
モチベーションのぎりぎりのあと一歩。
ぎりぎりまであがっているのに突き抜けなくて「やってらんない」ってなるこのあと一歩。
そのあと一歩をプラスととるかマイナスと取るかって人それぞれだと思うんですけれど、それをあきらめととるか妥協と取るか。
なんかこう、やっぱり会社ってどこに行ってもどうせくだらない些末なしがらみは多くって、制約も多くって、ままならないことってあって、それを完全に自由にやれるなんてことは幻想でしかなくて。
でもそれでも、何かの希望はあるからこそ仕事をするのであって、仕事場を選ぶのだ。
そうやって、社会人4年目にして3社目。その経験から照らしても、満足のいく会社なんてなくて、どこかで何かを妥協して、それを乗り越えてあと一歩のやる気を出すしかないわけですよ。
やってらんないのはどの会社でも一緒だけれど、決定的に違うのは「やってらんない」の中身なんだろうなぁ。
決定的にやってらんないと、本当にやっていられないので、仕事がなりたたない。
でもある程度のやってらんないだと、それを改善すればまだまだ何かができる余剰があるってことだから、それはやりがいというプラスに繋がる「やってらんない」なんだろう。
さてさて。
これまで経験した「やってらんない」には、上で書いた様な決定的に「やってらんない」ことと、努力でプラスになる「やってらんない」の両方がすでにある。両方ともが黒雨の経験値になっているのは確かなんだ。
だから、見抜けるはずなのに、ぎりぎりでわかんない。
今の感じの「やってらんない」は、はたして、どっちだ?
決定的に「やってらんない」のか? それともプラスに繋がる「やってらんない」なのか?
ただ単にミスが多くて無能な自分を棚上げするための「やってらんない」なのか?
あー、もう、こんな不都合な人間でも社会で生きて行かなきゃいけないっていう束縛のせいで、こんなどうでもいいことでうじうじしてしまうわけだったりするのです。
みんな強く生きていますね。黒雨はそこまで強くないです。
ふらふらと渡り鳥のように都合のいい環境を探してのたれ死にそうなので、どこかで踏ん張る枝を見つけて安らごうとしているっていうのが、正直な現状なんでしょうね。
枝で休めるなら、たいていの「やってらんない」は、ひょっとしたら堪えていれば過ぎていくものかもしれないのだから。
プラスに転じる「やってらんない」ことも、決定的に「やってらんない」ことも、どっちも通り過ぎるにわか雨として。そうやって枝にしがみつくってのも、生き抜く上での一つの選択肢なのかもしれない。
そうやって通り過ぎたあとに、現状を見届けていけば、プラスに転じる「やってられない」感じだったら抜け道が出てきて改善できるし、決定的に「やってられない」ことに対して見切りをつけることができるんだから。
ままならない人生に。
どこかでそっと、宿り木を。