『憂鬱アンドロイド』
『憂鬱アンドロイド』真嶋磨言/電撃文庫/メディアワークス
ISBN:4840230412
正直に言えば、前に取り上げた『僕はどこにも開かない』よりも将来性がある作家だと思いますよ。これ前置きね。
この小説は「物語」と呼べない。というのも、物語としては始まりから既に終わっているのだ。言い方に語弊があるか? 始まってすらいない。ずっとずっと終わり続けていく話だ。
主人公は決定的に人間で、自分をアンドロイドだと錯覚し続けている。
設定の時点で、物語が進行することがありえないというのは理解出来るだろう。どれだけ作中で盛り上がるシーンがあったとしても、物語としては一切進行しない。もしこの「アンドロイドだという錯覚」から主人公が目覚めたら、終わってしまっていた話が崩壊して終わる。そこに救いは残らなくなってしまうのだ。
このスタイルって、自覚的に使わないと危険ですが、作者がそれを自覚していそうな気がするので、連作短編という形で視点をころころ変えてくる。これは、素直にわかっててやってるなってのが読めていいです。
わかっててやってるんだろうな、って思えるんだけれど、まぁ、だからってどうしたものかね。主人公以外の視点から書いたものは無理矢理何かを詰めてはいるけれど、この小説の本質は主人公や茜視点のものだ。だけれど、その主人公や茜視点になったときに設定以外に取り立てて何もないあたりが、とても問題。
こういう話は、主人公視点だけで何か書けないと楽しくないよね。
あと、この小説、密度感覚はとても素晴らしかった。
はっきりいって、この小説はページあたりに入っているものがとても少ない。まぁ空白という意味だけじゃないんだ。言葉のニュアンスというか意味というか、そういった概念ですら素晴らしく薄い密度で書かれている。
その密度で読ませる作家。空気感を感じさせるその密度センスには素晴らしい。中に何も詰まっていない事すら自覚的なのかもしれない。
まぐれでこれが生まれたのかもしれないし、自覚的にやったのかもしれないし、どっちか判断に困るけれど、こういう密度センスで描かれる「物語」というのを読んでみたいという黒雨の個人的な欲求から、将来性を期待します。
イラストも当たりを引いてますね。あとデザイナーも。「僕らはどこにも開かない」だって、こういう当たりをひければイラストありの方が売れたし、より読者を誤魔化せたのに。まぁそれはどうでもいいや。
今回の電撃の新人は、なんだかとても営業あたりが頑張ってそうですね。大変だなぁ。