『ボクのセカイをまもるヒト』
『ボクのセカイをまもるヒト』谷川流/電撃文庫/メディアワークス
ISBN:4840232067
やっべ。何がしたいのかぱっと見わからない。
というわけで、谷川流はガチで買う黒雨ですが、何がわからないって、今回の新作はガチでわかんね。何がしたいのか。んで、これ、シリーズらしいんだがな。
何がしたいのかわからない、というのは言葉そのままで、作中で矛盾をしこたま抱え込むんですよ。設定上の意味ではなく、この本の意味ってことで。
まず、作中のキャラである主人公の姉・津波が発する言葉は、単純に作者の代弁でありそうだが、そうではなさげだ。というのも、この発する言葉の立ち位置は、作者ではなく「作品」の代弁となって存在しているようにしか思えない。
エンターテイメントであれ、と発言したかと思えばフィクションのオリジナリティーのなさへ言及し、その壁を打ち砕いたものをそろそろ見てみたいと言う。それでいながら、作中に出てくるキャラはどれもこれもが記号的に分解可能で、分解後には何も残らない。
そして、記号的キャラのはびこる王道的なストーリーが跋扈。跋扈した挙げ句に、タイトルにもあるようにその王道的な「セカイ」を守るべくキャラが立ち回る。だが、タイトルにあるように作中に出てくる「セカイ」を守ろうとして闘うことは、その実「セカイ」そのものの意味がぶっ壊されることから守ろうとしているようにも見える、か。
とぐだぐだ書いてみたんだが、これを一体どう調理するんですか。
要素を抜き出せばそこら辺の十把一絡げな萌えライトノベルですよ。つまんね。実際そこはどうでもいいんだ。谷川流において。そのギミックを限りなく悪意的に使う谷川が、どうセカイをぶっ壊そうとして、どのセカイを守ろうとしているのか。それが気になる。
ただ本書においては、いろいろな意味で何がしたいのかがわからねー勢いで、表面的なストーリーに従事しているため、何をやろうとしているのかが、わからない、という意味で凄く気にかかる。これは続刊を読むしかないのか。すごく気になる。
あと、この作品の表紙はどうにかならんか。キャラの片方の表情が、作品と乖離しすぎてるんだが。