『ガリバー』

『ガリバー』野狐禅ビクターエンタテインメント
  ASIN:B000FIHCEE
 野狐禅のニューアルバムが出てしばらくたった。
 正直に言えば、これがなければ、今の会社にいない気がする。それぐらい気力をくれた音楽がここにある。
 もうどれくらい聞いたのかわかんねーんだけれど、それでも聞き続けるこの音楽性。
 
 1曲目から激しくたたきつけるように流れるキーボード。それに心奪われたかと思えば、野狐禅の紡ぐ、どうしようもねーむさ苦しい生活感が曲に散りばめられていて、それにどっぷりと漬かってしまう。
 いつまででも、青春であり夢はあり、そしてそのまっただ中に人生があるのだ。だからこそ、「ならば、友よ」で彼らは歌う。

 なぁ、友よ、“夢”っていう言葉は
 きっとあきらめた人が
 発明したんだろう
 ならば、友よ、死ぬ間際でいいや
 君と夢を語り合うのは
 死ぬ間際でいいや。

 
 まだまだ、もがく余地はある。
 もがかないでどうするか。
 まだまだ、僕らは不完全なのだ。
 それを自覚させられるほどには、
 「不完全熱唱」という曲には力があった。

 問題ははたして私のこの姿が
 『あしたのジョー』のラストシーンと同義であると言えるかどうかなのでございます

 何にも欲しくなくなって 何かが足りなくなった
 何にも叫びたくなくなって 何かが雄叫びをあげた
 
 不完全熱唱

 
 まだまだなのだ。
 そう、これからである。
 はいずるような生活から、はいずるような物事から、はいずるようにすべての物を抱え込んで、そっから初めてスタートと言ってやろうじゃねーか。そう思わせてくれる、そういう親愛の情を抱かせてくれるような、下町情緒のような世界がそこにある。
 悪友だらけの世界観の中で、その中でもやろうと思っていることに向かい続ける姿勢をバックアップさせてくれるような、そういう曲たちなのだ。
 
 上京してきて暫くたって、それでも何かを成し遂げてはいない、そんな危機感を呼び覚ませてくれるような「東京マシンガン」など、その他にも様々なある種の人間らしいダメな部分を、ありのままに、それこそ写実的に切り取った曲たち。
 それを、力強いのか力強くないのか、近所のあんちゃんのような親しみやすさで、励ましてくれるような、そういう感覚の曲たちが、このアルバムには込められているのだ。
 
 前作、前々作以上に、そういった親しみやすさを持ったこのアルバムは、野狐禅の代表作と言っても過言ではないくらいに、アルバムとしてのまとまりをもっている。感無量。

 黒雨は、こういう音楽が、大好きだ。
 
 というわけで、当然ながら10月末頃にあるツアー「ガリバー」のファイナルのチケットは入手済みなわけなんだ、これが。