ただありのままに。

 京王線、特急京王八王子行き。新宿で載れば34分で京王八王子駅まで連れて行ってくれる。
 久しぶりに行った八王子は、感傷も何も感じさせる事もなく変わらないような、変わったような、妙な印象しか受けなかった。
 前に行った時は、そう。塾講師をしていたとき二年間担当した生徒の葬儀だった。
 今日八王子へ行くことになったのは、数日前に当時の同僚からメールを受けたことから始まった。黒雨がバイトをしていた塾では、授業後に日々何か文章を書かせていた。その書類が出てきたからということで、黒雨が貰い受けに行くことになったのだ。
 15分遅れで京王八王子に着いて、待ち合わせに向かわずにタワーレコードに向かい、野狐禅のアルバムを買う。そこで同僚に連絡を入れた。
 本音で言えば、行きたくなかったのだ。生徒の書いた文章を受け取ったら、捨てることにも持っていることにも耐えられなくなりそうな、そんな気がしたから。
 でも結局、貰い受けることにした。切り捨てることにも耐えられなかったから。それでもずるずる引きずって、間に合う時間に家を出れたのに、ずるずると遅刻してしまった。
 それはともかく、昼過ぎには京王八王子に着き、同僚に会った。合流してから昼飯をとりに店に入り、スパゲッティーを食べながら過去の自分の痛い思い出をほじくられる。もの凄く帰りたくなる。
 その後シャノアールに向かう。ケーキセットを食べながら、また過去の痛い思い出話が盛り上がる。ものすごく帰りたくなる。ともかくも、今回の用件はその過去の話をほじくられる事が目的じゃないのだ。
 散々にいじられた後に、本題に入る。
 生徒の書いた文章を受け取る。とても個性的な奴だった。書いてある文章は短い。端的だが、奴らしさが出ている文章だ。塾講師をしているときに、一回見た文章だ。書いた時の生徒の顔を思い出す。生徒の声を思い出す。書かせていた時に隣に座っていたのは黒雨なんだ。
 生徒と講師という立場だったのだから、そこに友情は存在しなかった。生徒との関係を言うのなら、本当に「先生と生徒」でしかない。その関係を築いた相手はごく少数だ。この「先生と生徒」という間柄はとても不思議だ。二年間「先生」とまがりなりに呼ばれる立場にいただけで、実態は「先生」なんかじゃない。だから、この感情をどうやって処理したらいいのかわからない。
 歩いて家に帰り、ぱらぱらと井沢の書いた文章を読む。書かせた日のことを想う。授業後に毎回書かせただけあって、かなりの分量がある。それを読みながら感じたこの感情は何なのだろう。どう説明したらいいのだろう。自分でも説明がつかない。だからこそ、どう扱ってもいいかわからないまま持て余しているだけなんだ。
 生徒の死を、どう受け止めていいかは、去年の葬儀からわからないままだ。数年ぶりに泣いた、あの日のまま、蓋だけが閉じられている。
 その蓋を開けて、中をのぞき込むことは出来ないまま、たばこの煙が部屋に充満していく。
 
 今日は、やけに、たばこが進んだ。