ライトノベル短編論

 ライトノベルには短編集がない。
 
 なんでか短編集ってライトノベルでは出てこないんすよね。シリーズものはあってもさ、『眠り姫』とか『ある日、爆弾がおちてきて』みたいな短編集ってほぼないんすよ。
 それを考えると、逆の手法ですばらしいと思うんですが『世界の中心、針山さん』って短編を書きたかった成田良悟が生みだした手法であって、シリーズもののように見せかけた短編集であるんじゃね?
 という訳です。
 
 ライトノベルにおいて、シリーズものでない短編集が、ほぼない理由は簡単だろう。
 売れない儲からない
 ってのは一般論的に各地で見ますね。
 ライトノベル的特性はキャラクターありき。キャラクターが売り。キャラクターなんぼ。キャラクターに惹かれ、シリーズに惹かれたら、読者は簡単に集まる。シリーズものというフィルターをかけるだけで、前作の読者は買うだろうからだ。なんて簡単な。そしてグッズやらアニメやらそういった展開が出来るからだ。なんて商業主義な。
 っつーわけで、ライトノベル的な短編というのは、存在しにくいのである。
 かといって、まったく存在しないというわけではない。ライトノベルというのは、有象無象を含むから面白い。だからこそ上記の『ある日、爆弾がおちてきて』のように短編一編で十分「作品」になる。
 もう「商品」としてのライトノベルは円熟してると思うんだ。だからこそ「作品」としてのライトノベルに挑戦してほしいと個人的には思う。ライトノベル的な「作品」による小説に、そろそろ取り組んでもいいんじゃないか。シリーズものにして利益がぽがぽ、結果作家は使いつぶし的なことは、もう完成形になってるじゃないか。
 読者もそれに慣れてきてしまい、完璧に定型化された構造になってしまっているじゃないか。結局同じものを見せられ続ければ、そりゃぬるま湯に浸かった脳になっちまうじゃないか。
 そういったシリーズものによって読者の条件反射の餌付けをするのではなく、「作品」として一本一本挑むような場。それがライトノベルが次のステージに進むためには、必要不可欠なんじゃないだろうか。
 
 そもそも短編とは、決められた枚数で何を表現するかに美学がある。
 それなのに、シリーズものの短編にした場合に、そういう美学はとっぱらわれることも多い。ただ字数が少なくなるだけなのだ。
 今後は、ライトノベルの短編が存在し、それでも受け入れられるような読者が必要なのではないか。そうでないと、いつまでも同じ所をぐるぐる回っているようじゃ、ライトノベルって存在は、本気で下降して終わるだけになってしまう。
 脊椎反射でシリーズ買いだけしている世界はもう終わりでいいじゃないか。シリーズとはいえ『世界の中心、針山さん』や『都市シリーズ』なんかは比較的一作一作で勝負している作品ではあると思う。ああいったものがまだ現存して成功している今であるからこそ、ライトノベルの短編というものをつきつめるべきじゃなかろうか。
 
 しっかりと根付けば、これは将来的にプラスになると思うんですよ。どうですかね、取り組んでくれませんか。シリーズにしてダラダラ書きつづる作家使い捨てシステムでは、作家の次作品へのチャレンジはないわ、読者も新たなものに触れられないわ、ライトノベルがおもしろくないままなんですよ。
 有象無象があるのはわかってるから、もう少し見栄えが違うものを見たい。最近有象無象の全体レベルが落ち気味ですよ。そのせいか作家がいろいろ流出してませんかね。
 
 とか言い出す黒雨っていうのは、なんだろうな、世代的にライトノベル読者ではなくなってきているのかもしれない。アーメン。
 もう黒雨は、ライトノベル世代としては微妙な古さがあるんだろう。
 だって、今のライトノベルに「こんなのもあったか!」なんて、新鮮味というか面白さを、あまり感じないんだから。