『夢の万祝』

『夢の万祝』六畳人間/Upper Deck
  ASIN:B000KEGD20
 音楽について書くのは2年ぶり。
 相変わらず周囲に話し相手がいないからこういう場所でつらつらと書きます。たまにこういう趣味のバンドばっかりを歌いたくなる衝動はあるんですが、今見たらパセラの楽曲検索でもなかったよ。悲しいなぁ。仕事で社用車運転中にCD流して歌うしかないわけですね。はい、よくやります。
 さて、こちらのCDはバンド名でジャケ買いしてたんですよ。かなり昔に。いつだ。転職する前だから……3年くらい前かー。ただ最近はCD音源買う余裕がないのでめっきり買ってないので、上記1作しか聞いてません。なんだか気づいたらかなり枚数だしてましたよ、このバンド。
 というわけで、さて内容へ。
 六畳人間の歌詞で特徴的なのは、同じフレーズの多用である。

 さあ もっともっと 手の鳴る方へ行こう
 なら 僕は僕は 笛吹き踊ろう
 
 さあ もっともっと 手の鳴る方へ行こう
 なら 僕は僕は 笛吹き踊ろう
     ――六畳人間「手の鳴る方へ」

 一番のお気に入りは「おっかなびっくり壊し屋さん」という曲。

 もう不安な気持ち 「本当は怖い」なんて 言わないよな
 だって ぶっ壊して 目を疑うような時間になるから
     ――六畳人間「おっかなびっくり壊し屋さん」

 曲の世界は上記の歌詞で完結している。
 六畳人間の歌詞のとらえかたは難しい。頭で考えることはほぼ不可能に近い。言葉としては分断化されてしまった感情というものを再度の言語化をせずに、そのまま表現しているのだ。
 この繰り返しのフレーズを、芯のあるねっとりとしたボーカルが絡めとり、絶妙な強弱や意図されたノイズを散りばめたバンド演奏が後押しして不思議なフィールドを作り出す。演奏・ボーカルの音程が同じようでいるのだけれど、絶妙に強弱を変え微細に音階やフレーズを変え、その部分を曲中に巧妙に配置しているんだ。そのせいで、全く同じフレーズで同じ音階である繰り返し部分でさえも、実に多種多様な表情を見せてくる。
 そのせいで、言語としては分断化さてしまったフレーズを繰り返せば繰り返しただけ、そのフレーズの奥行きが広がっていく
 それを増強するかのように、六畳人間の曲はフレーズを聞かせるように、どちらかというとテンポは早くはない。アップテンポにおもわせる曲でも、スローテンポに思わせる曲でも、ある種のノイズ的にも思えるアレンジをされた激しい演奏が、テンポだけの表現にとらわれない衝動を表現してくるのだ。

 大切な 大切な ものはひとつだけじゃない
 言葉では 言葉では 伝えきれないものだ
     ――六畳人間「夢の万祝」

 表題作の歌詞どおり、言語化されないものを曲として歌い上げている六畳人間。音楽という媒体だからこそ表現できる何か。それをこのバンドは、はっきりと明示してくれているような気がする。
 2年くらいヘビーローテーションで聞いても色褪せなく毎回違った顔を見せてくれる曲たちです。もうちょっとこのバンドの曲は追いかけて行きたいと思います。